13 Aug 2018
プロフィールの概要
石田莉乃
出身:神戸で生まれ、3歳まで大阪、その後は東京
職歴:外資系金融機関のシステムエンジニア、フリーランス翻訳業(たまに通訳)
言語:日本語、英語
趣味:ハープ、声楽、フラダンス(高木ブーさんのステージで踊ったことも)
目標:温暖な場所に移住すること
音楽:QUEEN、オペラ(特にモーツァルト)
映画:ハッピーエンドが条件です。特に感銘を受けたのは「最後の誘惑」
海外ドラマ:「ブラック・リスト」、「ミディアム」、「ブラインドスポット」
座右の銘:「ま、いいか」、「人生、ひまつぶし」、「ルールは破るためにある」
特技:人の強みを見つける
Webショップ:E Ku’u
仕事を辞めて出産、ウツになる
外資系企業でバリバリ働いていた私。
いわゆる「リア充」でした。
かっこいいスーツを着て、海外のスタッフと英語で仕事をし、
1年のうち4カ月くらいは海外出張、そしてお給料も高額です。
とにかく充実していました。
20代後半で結婚。
妊娠して出産しますが、体調を大きく崩してしまったのです。
上司はわざわざ家まで来て、
「体調を見ながらできる範囲で働いたらどうか?」
と提案してくれました。
当時の私は、「白か黒か」「ゼロか1か」の世界で生きていましたから、
「それでは人生の負け組になってしまう。そんなの絶対にあり得ない!」
「全力投球できない状況では、何もかも中途半端になってしまう・・・」
と考え、悩んだ末に退職することにしたのです。
完全に混乱する
急に社会との接点を失ってしまい、完全に混乱しました。
当時はインターネットがない時代。
唯一、社会との接点はといえば、「郵便物」だけ。
毎日毎日、
赤ちゃんの子供をだっこして、
頻繁にポストのあたりをうろうろしていました。
一日中、郵便配達を待ってたんです、ずーっと。
ダイレクトメールさえも嬉しかったことを憶えています。
そうこうするうちに、状況はますます悪化。
朝のニュースで、
職場があった丸の内が映ると、涙が流れました。
夕方になると
なぜかとっても悲しくなり、また涙が流れて。
子供の泣き声を聞くと喉が詰まるような感覚に陥りました。
当時の育児日記が残っています。
内容を見ると、子供の様子ではなく、
なぜか天気のことばかり。
最高気温が10度、今日は風が強い・・・。
変ですよね?そうです、ウツだったのです。
その頃は、今のように
「ウツ」の情報はあまりなく、
自分で認識はありませんでしたが、
今から考えると完全にウツでした。
仕事を失ったウツと産後ウツのダブルパンチです。
誰にも頼れない
私は、小さい頃から何でもこなせる「できる子」でした。
それまでの人生、まずまず順調。
「自分は強い人間である」と思っていました。
ところが、
出産とその後の生活は、
私の想定からかけ離れたものだったのです。
ものすごい閉塞感・・・。
ダメダメな状態の自分は、
かつてはバカにしていた「弱い人」でした。
ショックだったし腹も立ちました。
毎日のように「なぜ、こうなっちゃったんだろう?」と問いかけ、
すべて自分で決めたことなのだと気付き、さらに苦しくなる・・・
という繰り返し。
朝、手がこわばって開かなくなり、
リウマチの疑いで検査したのもこの頃です。
何年も後になって、
女性ホルモンの急激な変化によるものだとわかったのですが、当時は
「どうなっちゃうんだろう?そのうち関節が変形するのか・・・」
と、とても不安だったことを覚えています。
それでも、誰にも相談できなかったのです。
つまらないプライドで、
夫、父、母には明るく振る舞っていました。
渦中にいた私にとっては、
なんだかいろんなことが見えなくて、
わからなくなっちゃっていたのです。
何かしないとだめになる
出口が見えない中、
「何か始めないとだめになる!」
と切実に思った私は、翻訳の勉強を始めます。
外資系での実務経験を活かせて、
しかも自宅でできる仕事、ということで、とりあえずの消去法で選びました。
まずは、翻訳学校に入学。
幸運にも良い先生に巡り会うことができ、
1年で少しずつ仕事をいただけるようになりました。
とにかく、仕事を1つずつこつこつがんばったのです。
自宅で子供の面倒を見ながら、
忙しいときはシッターさんの協力を得ながら。
稼いだお金がほぼシッターさん代に消えることもありました。
しかし、なんとか軌道に乗せることができ、
再び、忙しい日々を送るようになったのです。
収入は、外資系時代には遠く及ばず・・・。
しかし、ウツ状態を脱却でき、日常にハリが出てきて、
身体のまわりにあったモヤモヤしたものが消えていき、
霧が晴れていきました。
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別離
人生にはいろんな別離がやってきます。
翻訳という仕事に対して全く理解を示さず、
フリーランサーをリスペクトしない夫に嫌気が差し、ついに離婚。
(その後、再婚しましたが、また離婚し、現在シングルです)。
でも、案外大丈夫でした。
なぜならば、母がいてくれたからです。
実家は車ですぐの場所にあり、
いろいろな面でサポートしてくれました。
ところが、母が60歳のときにガンが発覚。
末期の膵臓ガンでした。
余命6カ月を宣告されました。
精神的に苦しかった闘病生活
父の強い希望もあり、告知しないことを選択。
(今では考えられないことですし、告知しなかったことはとても後悔しています)。
母の闘病中、
私は母の病気を見ないふりをして生活していました。
「病気が治ったら」という存在しない未来について妙に明るく話す、という毎日。
私は、母が癌だということも認めたくなかったし、
弱っていくのも認めたくなかった。
向き合うことができなかったのです。
私にとって母は「頼りになる強い人」でしたし、
ずっとそうあって欲しかった。
だから、弱っていくのが腹立たしいという思いもありました。
「おかあさん、しっかりしてよっ!」と、
心の中では怒っていました。
ゴルフが大好きな母は、ゴルフの予定を立てたがるのです。
「来年は・・・」「元気になったら・・・」と母が言うたびに、
「お母さん、実はね!」と、何度も言い出しそうになり、
言葉を飲み込みました。
そんなある日のこと。母が
「おかあさんね、死ぬことは怖くないんだよ」とぽつんと言ったのです。
このときはさすがに否定できず、泣かないでいるのが精一杯でした。
母にはわかっていたのですよね。
癌の中でも一番手強いといわれる膵臓ガンには克てず、
母は61歳で亡くなってしまいました。
ガンが見つかってから、8ヵ月。
最後、母の心電図のモニターの波形が崩れていくのを、
ぼーっと見ていました。
長くて暗いトンネル
母が亡くなってからしばらくの間、
どのように生活していたのかまったく記憶がありません。
お葬式のときも泣きませんでした。
すべてが人ごとのように流れていきました。
自分の悲しみを完璧に無視していたのです。
今から思えば、
ある種の自己防衛だったのでしょう。
母が亡くなってしばらくしても、
「母は死んでしまったんだ」という実感がまったくわかないのです。
「これは全部ウソで、もしかしたら生きてるんじゃないか?」
と本気で思ったりしました。
母はおもしろい人だったので、
「もしかしたら、これは母が仕掛けたドッキリじゃないか?」
なんて、かなりまじめに考えたりもしました。
そして、
「もしかしたら、ひょっこり出てくる可能性もあるんじゃないか?!」と、
母とよく一緒にランチを食べに行った街へと母を探しに行きました。
人は泣くべきときに泣かないとダメですね。
たまった悲しみは蒸発しません。
そのまま底にたまって澱になり、長いことずーんとボディに効くのです。
父との確執
父にも異変が。
父は、母が亡くなってから、かなり深刻なウツに陥ります。
結局、復活するまで5年かかりました。
父と母は決して仲良い夫婦ではなかったし、
母の闘病中からいろいろな行き違いがあったので、
「お母さんに優しくしなかったくせに、ウツ?はぁ?」という感じ。
夫婦には、子供にはわからない関係性があるものですが、
当時の私にはわかりませんでした。
そんなこんなで、
以前からそんなに良くなかった父との関係がさらに悪化したのです。
スピリチュアルとの出会い
ある程度月日が経つと、
「今、母はどこでどうしているんだろう?」
という思いが強くなっていきました。
そして、
病気の母と向き合えなかった後悔。
ガンを告知しなかった後悔。
最後に「ありがとう」と言えなかった後悔・・・。
そこから、スピリチュアルな学びが始まりました。
「ジェットコースターのような人生は辞めよう。平和に生きよう」
と決心し、いろんなことをやってみました。
占い、
瞑想、
座禅、
チャネリング、
ワークショップ、
エネルギーワーク、
講演会、
セミナー、
実践講座などなど。
役立ったものもあったし、そうでないものもありました。
母が亡くなってからもうすぐ20年。
少しずついろんなことが和らいでいって、
父との関係も良好になりました。
父には「自分勝手な人」というレッテルを貼っていたけど、
今では家族に対してとても深い愛を持っていることを実感しています。
もしも母が長生きしていたら、
父とはずっと疎遠だったでしょう。
本当の父を知らずに過ごしたかもしれません。
今、私は父のことを人間としても仕事人としても尊敬しています。
母がいないのは寂しいけれど、
父との関係は母がくれたプレゼントだと感謝しています
現在、日々小さなことはいっぱいあるけれど、
無事にジェットコースターから降りることができました。
朝、元気に目覚めて、
夜は暖かい布団に感謝して寝る。
そんな平和が訪れた気がしています。
外資系で働いていた頃の私が聞いたら、
「なにそれ?」と笑うかもしれません。
でも、「どちらが幸せか?」
と聞かれれば、今の方がずっと幸せですし、
周囲を幸せにもしていることは確かなのです。
このブログを運営しようと思った理由
私がこのブログを運営しようと思ったのは、
長年のスピリチュアルな学びの中で重ねてきた経験がベースになっています。
大きく2つの理由があります。
1つ目は、「実生活で活かせるスピリチュアルを提案したい」という想いです。
これまで、スピリチュアル業界のさまざまな人たちと出会いました。
「天使からメッセージをもらいました」「宇宙と交信しています」、
と言いながら、実生活がガタガタなチャネラーさん。
「私は常に空にアクセスしています」と言いながら、
お互いの攻撃をやめない瞑想教師たち。
高額なセッションを提供しているのに、
親との関係やインナーチャイルドが癒やされていないヒーラーさん。
こういった人たちは、
スピリチュアルだ、という看板を出していながら、
学びをこの3次元(実生活)で活用できているとは言えません。
実生活で役に立たないスピリチュアルは、単なるファンタジーでしかないのです。
実生活で役立つスピリチュアルを提案していきたい。
これが、このブログを運営しようと思った1つ目の理由です。
2つ目は、「依存でなく自立」という想いです。
ヒーラーさんのセッションに依存している人をたくさん見てきました。
私も数々のセッションを受けて来ましたから、
ついつい依存しそうになってしまうのは理解できます。
以前、何千人ものクライアントを持つヒーラーさんに
「クライアントを依存させているのでは?」と質問したところ、
「それは依存ではなく、ファンですよ」と言われました。
そうかもしれない。
でも、大きな違和感を感じました。
スピリチュアルは、人生の道のりで出会う標識のようなもの。
この標識は、あくまでも参考でしかありません。
標識通りに行く必要はありませんし、間違っている可能性もあるのです。
自分軸でしっかり立つスピリチュアルを提案していきたい。
これが、このブログを運営しようと思った2つ目の理由です。
石と仲良くなりませんか?
私のブログでは、
スピリチュアルな情報発信を、大好きな天然石を通じて行おうと思います。
具体的には、
もっと石と仲良くなる方法を提案します。
というのは、
最近の「パワーストーンブーム」に、ちょっとした違和感があるからです。
たとえば、外国の方がいて、
その人と仲良くなりたい場合、どうしますか?
「○○人は・・・」という情報に頼るでしょうか?
たとえば。
日本人は、「まじめ」とよく言われますよね。
もちろん、日本人は国民の属性として「まじめ」という特徴を持っています。
でも、
個々を見れば、実にいろんな日本人がいます。
ですから、誰かと仲良くなるには、
国民性や地域性といったざっくりした情報よりも、
「その人」をよく知ることが大切です。
石も同じです。
「○○という石には△△のパワーがあります」というような、
ざっくりとした情報は便利ですし、インターネットにも溢れています。
でも、それぞれの石の個性を大切にした方が、より仲良くなれるのです。
ですからブログでは、
できるだけ個々の石にフォーカスした情報を提供したいと思っています。
また、美しい天然石の数々は海外から日本にやってきますから、
海外初の情報もたくさんあります。
翻訳者であることのメリットを活かし、
海外で発信された面白そうな記事を見つけたら、
翻訳してご紹介しますのでお楽しみに!
自分軸を取り戻す
あなたは、「情報が多すぎる」と感じていませんか?
情報量が増えるほど、人間の集中力や直感力は低下していきます。
その結果、軸が自分から他人へと移ってしまいます。
天然石は、気が遠くなるほど昔から「そこ」にいました。
行ったこともないような遠い国の地下深くに眠る石や、
霧深い山にひっそりたたずむ石は、採掘されて世界中へと旅立ちます。
そして、海を渡ってはるばるやってきて、
あなたと出会う。
これは、偶然ではありません。
天然石は、私たちが想像もできないほどの「優しさ」を持っています。
友だちであり、パートナーとして、
自分の感性や感覚を取り戻し、「自分軸」で生きる手助けをしてくれます。
私もかつては、いろんなことに振り回され、
小突き回される人生でした。
空虚になった私を、
優しく、気長に、少しずつ満たしてくれたのは天然石でした。
あなたにも、
「自分軸で生きている」という実感を持ってほしい。
難しそうに聞こえますが、これは実は、「思い出す」作業なのですよ。
目指す世界
天然石について、実体験を踏まえた具体的な情報を発信することで、
自分を軸とした喜び溢れる豊かな毎日を送る人を増やしたい。
あらゆるものには「波動」があり、特定の周波数で振動しています(量子の世界で科学的に実証されています)。
つまり、あなたの思考も波動。
「考えていること」は、驚くべき速さで波及していきます。
そして、自分や周囲の人だけでなく、
宇宙や地球にものすごく大きな影響を与えているのです。
ですから、まずはあなたが真っ先に幸せになる必要があります!!!
幼稚園の頃を思い出してください。
お片付けの時間、先生は「自分のことが済んでから、お友達のお手伝いをしましょう」と言いましたよね?
飛行機の機内で酸素マスクが降りてきたら、
子供よりまず自分が装着しますよね?
これと同じ。
自分を最初に満たしてください。
こんな長文を最後まで読んでいただき、本当にありがとうざいます。
あなたとは、
前世でご縁があったのかもしれません(たぶんそうです)。
今生では新たな関係が始まるのではないか、とワクワクしています。
最後に、私が大好きな言葉を紹介させてください。
Every wall is a door. And you have the key.
すべての壁は扉。そして、その鍵を持つのはあなた。
~アメリカの哲学者、ラルフ・ワルド・エマーソン
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